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 看板設置事業
  標高89mの台山という小高い丘陵地にあり、西方は丘越しに神内池が望め、前方は上佐山や北部の低地などが一望できる要害の地である。土塁や自然の谷を利用した落差の大きい堀の空堀を作るなど、防護上の工夫が行き届いている。平安時代末期に、神櫛王の子孫で、植田氏・三谷氏・十河氏と同族である神内氏が、だいやまに城を築き、屋島の源平合戦には源氏に味方して、戦功をあげた

 
  標高255.7mの上佐山頂上は眺めがよく植田校区はもちろん高松市内や三木町長尾方面まで見渡せます。『上佐山の山頂にあった中世の山城。山頂は平坦で、かっての王佐山城の本丸跡で、守り易く攻め難い要衝の地でした。文明12年(1480年)に寒川氏が攻めのぼってきたときに大きな石を突き落とし敗走させた戦いは、讃岐の戦国時代の始まりとされている。