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合子八幡宮

池田バス停のすぐ西に小高い丘があり、なだらかな坂道と急峻な石段を登りきったところに鳥居があります。そこから西を見ると、上佐山を背に鎮座した池田町全域の氏神様である合子神社の社殿が望めます。戦国時代には上佐山の山頂にあったとか、当時は南向きであったのを後の世に東向きに改めたとか伝えられています。その昔、生駒の殿様が領内を通りかかった折に、宮司や庄屋らが供応したところ、殿様はたいそう喜ばれて領地をくださったと言われています。上佐大明神、池田八幡宮とも呼ばれていた頃もあって、複数の神様を合わせて祀っているので合祀(ごうし)神社と書いていたのが、のちの世に合子神社に変わってきたと伝えられています。

上佐山山頂に、戦国時代には王佐山城(上佐山城)という山城があったそうです。
その昔、京都御所に夜な夜な火を吹く怪鳥が現れ、都に奇怪なことが頻発し、帝の御心を悩ましていたそうです。
その時、弓の名人として名の通っていた上佐山城主の三谷弥七郎景晴が呼ばれ、怪鳥退治を命じられました。
弥七郎景晴は、見事この怪鳥を射ることができたので、帝は弥七郎景晴に兵庫頭の称号を授けて武勇を誉め称え
たそうです。王佐山城(上佐山城)は急峻な山頂にあったため、見晴らしのよい守りやすく攻めにくい山城であった
そうです。今から五百年余前の文明年間に寒川氏が攻めて来たとき、攻め登る敵に向かって山頂から大木や大石
などを落として勝利したそうで、この上佐山での戦いが讃岐での戦国時代の始まりであると、
公の記録に記されています。
 
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